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★★ Coffee Break ★★

コーヒー通
〜 戦前の珈琲の本から 〜

 

先日、当店の昔からの客様より、戦前に発行されたコーヒーの本をいただきました。

通叢書、門倉国輝著”喫茶とケーキ通”という昭和6年4月1日に発行された本です。ちなみに定価は70銭、送料6銭と書いてあります。

この叢書シリーズのコピーがまた凄いです。”モダーン人必携の通叢書を読め!”、”通叢書を読まずして趣味を語る勿れ!”、”通叢書読まぬは近代人の恥”というものです。当時の人はなかなか気合が入っていますね。(a_a)y

その当時の珈琲のことや、今でも通じることなども書かれていますので、その本の中から少し紹介したいと思います。

 

この本はこんな出だしから始まっています。

飲 物 篇

一 珈 琲

道で知人に会ったとする。

「やあ、そこで珈琲(キャフェ)でも飲まうか」

これが近代青年の交換する挨拶である。

赤瓦でペンキ塗りの文化住宅を訪れて、断髪洋装のモガ夫人に、先ず第一に接待されるのも珈琲(キャフェ)である。

読書人が読み疲れ、考へ疲れて、先ず胸に浮かぶのも一杯の香高い珈琲である。

年々発展して行く都市の郊外で、最初にきまりきつて見受けるのも、湯屋の煙突と生蕎麦の看板と、そして必ず一軒の珈琲店である。

まことに一九三一年は珈琲の時代だ。

お爺さんお婆さんは日本茶を飲む。中年の男女は日本茶も飲むが珈琲も嫌ひではない。青年男女は断然珈琲ばかりを愛する。−−−と言っても大して誇張ではないほどに、今では珈琲は私達のものなのである。

にも拘らず、珈琲の知識は珈琲そのものの普及の五分の一も普及してゐないのはどうしたものか。珈琲を愛飲するからには、一通りは珈琲のことに通じて置くのが、文化人のたしなみといふものである。

珈琲のいれ方

どんな珈琲をどんな割合で混合すれば一番うまいかといふに、それは「貴方がうまいと思ふやうにいれたのが一番うまい」と答へる外はない。人によって嗜好が違ひ、各人は自分の嗜好を主張する権利があるのだから。例へば私の店へくる外国人は、私のいれる珈琲をほめてくれるが、日本人には少しこってりし過ぎてゐると評される。どうもそれはそれは貴方の舌が悪いのだ---といふわけにはいかない。

併しごく一般的にいふなら、モカ五、ジャバ三、ガテマラ二。或は、ジャバ五、モカ五の割合。又は、ジャバ六、モカ四位の割合が一番いゝかと思はれる。

勿論珈琲は必ずしも混合してのみ用ふべきものではない。モカならばモカのみ、ジャバならばジャバのみといふ風に、一種だけを味ふのも、また味ひ深い飲み方である。人によっては、混合したものよりも、どれか一種だけの方が、ずつとしつくりしてよいといふものもある。

珈琲の容器は陶器が一番よい。完全に錫引(白引)さへしてあれば、銅製薬鑵でも差支へはない。鉄瓶は一番不向きである。

さて珈琲のいれ方であるが、先づ小さな布袋に珈琲を七分目程入れ、それを容器に入れた後、静かに熱湯を注ぎ、布袋が浮き上つた時、蓋をする。その儘若干時間放置し、更に熱湯を加へて前と同じ操作を繰り返せばそれでいゝのである。

かうして濾過された珈琲が、まだうすい場合には、更に他の容器に珈琲を移しあけて、今一度前と同じ操作をすばやく繰り返せばよい。味が薄いからといつて一度濾過した珈琲を二度煮沸したりすると、苦味と酸味を生じ、珈琲本来の風味は失はれてしまふ。尤も経済のために、出しかすの珈琲を煮沸して用ゐることもあるが、その場合にはなるべく澤山牛乳を入れないとうまくは飲めない。

仏蘭西の家庭などでは、よく客に出した残り、又は晩餐後の珈琲を、そのまゝ陶器に入れて保存し、翌朝瀬戸引鍋(キャスロール)に入れて煮沸し、直ぐ火から下ろし、前日と同じやうに濾過した後、牛乳を澤山入れ、所謂牛乳入珈琲(キャフェー・オー・レイ)として飲んでゐる。

珈琲の分量はあまり倹約してはいけない。一人前五六匁位は是非必要である。ところが、妙なもので、匙に五杯入れるべきところを、どうも惜しい気がするので、一匙倹約したりする主婦をよく見かける。そんならその婦人は何事につけても節倹家かといふと、あまり効果もありもせぬ舶来化粧水のために、法外の金を拂つたりしてゐるのである。入れ惜しみをしてまづい珈琲を飲んで我慢してゐる位馬鹿げたことはない。それ位なら珈琲などやめて、番茶専門にするがよいのだ。

仏蘭西の婦人はこまかいので有名だが、それでも珈琲の入れ惜しみなどしない。却って分量を余計にして二度目にもうまく飲めるやうにと心掛けてゐるのである。

珈琲の飲み方

珈琲の飲み方は別にむずかしいことはないのだが、一通りは心得ておかぬととんだ恥をかくことがある。私の店などに来る客のなかにも、随分いゝ加減な飲み方をする人がある。大抵珈琲には、クレームと砂糖を添へてだすが、ボーイが持っていくと、いきなりクレームを珈琲の中にあけ、それから砂糖を加へて気短にガチャガチャと匙で撹きまはしてゐるのなぞ見ると、骨折ってうまい珈琲を作っても無駄骨の気がして情なくなる。

通人は珈琲を飲む前に先づ水で口中を浄める。ほんたうに味ふためには口中の臭ひ、滓などが邪魔になる。ちやうど鮨通が鮨を食ふ前に生姜とお茶で口を浄めると同じである。それから、砂糖もクレームもいれない生のまゝの珈琲を一口口に入れてしみじみと味ふ。この一口が珈琲通の最も尊重するものなので、味も香りも凝ってこの一口に味到せられるのである。砂糖を入れ、クレームを加へてからでは、どうしても珈琲そのものの特色は幾分か緩和せられ、従つてその珈琲の真味にふれることができぬ。だからといつて、全然砂糖もクレームもいれずに飲むのは刺戟が強すぎるし、殊に後の気持がよくないから、生の珈琲は最初の一口にとゞむべきである。

中には珈琲は生のまゝ飲むべきもので、砂糖を入れたり、クレームを加へたりするのは、苟も(いやしくも)通のすることではない___などいふものがあるが、これは心得違ひである。不眠薬を飲む訳ではなし、楽しく珈琲を味はうといふには、生の珈琲は最初の一口で充分である。次には砂糖を加へ充分匙でまぜる。砂糖がすっかり溶けたら、今度はクレームを注いで掻きまぜる。クレームを砂糖よりも先に、または同時にいれたりするのはよくない。またクレームの量は各人の嗜好で違ふわけだが、多すぎるよりは少なすぎる方がよい。クレームが多すぎると珈琲の味が消され、或は変質して一向特色を発揮しないやうなことがある。

かうしてまぜ終つたら匙を置き、静かに飲むのである。

 

当時と今とではコーヒーそのものも違っていますし、趣向もだいぶ異なっています。しかし、1杯のコーヒーを優雅においしくいただきたいという思いは一緒ですね。

コーヒーにこだわるなら淹れ方だけではなく、おいしくいただくことにこだわってみてはいかがでしょうか?

コーヒーは自分がおいしいと思うように飲むのが一番だと思うのですが、最初の一口だけはそのままブラックで飲んでみて、そのコーヒーが持っている生の味と香りを味わうのが、本当の意味で通な飲み方だと思います。

 

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